放課後の家庭科室。

週２日、此処からいい匂いが立ち込めてくることは、部活動などで残っている生徒なら大方知っている。
休憩中にお相伴に預かろうとやって来る者までいるのは、その味がそれだけ評判だからだろう。

中でも一番人気を誇る腕前の持ち主は、今愛用しているフライパンから香ばしい香りを…もっと言うなら少々焦げ臭いそれを…起こしていた。



「――お！直っ！」

焦った声に呼ばれ、ハッと意識が戻る。
目の前のパンケーキがじゅうじゅうと…黒くなっていた。

「わあっ！焦がした！」
大慌てで火を止め、更に移す。
折角生クリームまで用意していたのに、すっかり台無しだ。

「うう…」
「ま…まあまあ、これでも食べられるから、大丈夫だって！」
「けど珍しいよな～直が料理中にぼーっとしてるなんて」

しょげるオレを部の仲間がわらわらと囲む。
1人が言った言葉に皆一様に頷くので、内心ぎくりとしながらも愛想笑いを浮かべた。
「あはは…そ、そうかな…」
「確かに…お前、なんかあったのか？」
「え！な、なんにもないって！全然！」


言えない。
言える訳がない。

数日前―――嘉堵川先輩にキスされた、なんて。


あの後どうやって自分のベットに帰ったか覚えていない。
気付くと朝で、母さんに叩き起こされた。
ぼんやりした間抜け面を鏡で見ても、朝御飯を咀嚼しても夢現でいたのだけれど…玄関のドアを開けた目の前に先輩の姿を見つけて、やっと頭が覚醒した。
よお、と呟いた先輩は、まるで何事もなかったかのようにいつも通りで。
だからもしかしたら夢だったのかな…とも考えたけれど。

昨日も一昨日も、帰るときに先輩は同じように…

「ってうわああっ～！」
「うわあっ！？」
「どど、どうしたんだよ、直っ！？」

突然叫んだオレに、周囲がビクッと肩を跳ね上げる。
（しまった、思い出すんじゃなかった…ッ）

頭を過ぎったのは、ここ数日の同じ行為。
まるで夢ではないと告げるかのような先輩からされるそれに、すっかり沸騰してしまいそうだ。
（うう…）

「な、直…？」
「だ、大丈夫大丈夫…あははは…」
耳まですっかり熱くなっている自覚がある。
それを悟られないように適当に誤魔化すと、いい加減集中しようと料理に向き直った。


先輩は言っていた通り、あれから学校に来ていない。
ただ、登下校だけはオレの為に送り迎えをしてくれている。
先輩達がいないからお弁当も自分一人分だけで良くなって、前までのように順平達クラスメートと食べる生活に戻ったのだけれど…
今までの通りだというのに、なんだか酷く味気なく感じてしまう。

（先輩、いつまでいないんだろう…）

つい気を逸らすと嘉堵川先輩のことばかり考えている。


「あ、そういえば聞いたんだけど！」
今度は無事に焼き上がったクッキーを食べながら雑談していたところ、隣のクラスの中本がオレを振り返った。
「直、お前あの嘉堵川篤也に呼び出されたんだって！？」
その一言に、一気にまた皆がざわめきだす。

「えっ！？マジか！」
「そうそう、オレも聞いた！カツアゲとかされたんじゃないのか！？」
「え、あ、だ、大丈夫だって！」
（うわあ～もうすっかり話題になってる…）

確かに目立つ先輩が動けば、噂にならない筈がない。
寧ろよく今までオレに聞きに来た奴がいなかったなあ、と一瞬考えて、噂が噂だけに恐くて誰も聞けなかったのかなあ、とも思うと納得もできた。
先輩はあれからいつもオレと一緒にいたし、聞く隙もなかっただろう。
なんて答えようか凄く迷ったけれど、まさか付き合っているなんて本当のことを言える筈もない。
（順平のときは、動揺のあまり溢してしまったけれど…アイツは口は堅いから、漏れることもないだろう）

「なんともないって！あの、先輩とオレは、その…と、友達になったから！」

うん、我ながら苦しい言い訳だと思う。
でも他に上手い口上も浮かばなかったのだから仕方が無い。

「と、友…達……？」
「…あの、嘉堵川、篤也と…？」

案の定、皆は顔を見合わせると――いきなりオレの両肩を掴み、ぶんぶんと前後に振り出した。


「って…そんな嘘誰が信じるかよ！」
「やっぱり何か脅されてるんじゃないのか！」
「ここはやっぱ先生に言おうぜ！」
「いやここは警察に…っ」
「いやいやいや！大丈夫だって本当に落ち着いて～っ！」


パニックになる彼らを収めるには、酷く労力を要するのだった。